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高田イズムまたも空振り…没コミュニケーションでひずみ 高田監督は1985年、39歳の若さで日本ハムの指揮官に就任。青年監督は野武士集団にV9巨人の管理野球を持ち込んだが、少なからず選手たちとの軋轢も生んだ。
[フォト]開幕前、絵馬「日本一」と書いた高田監督だったが… 当時を知るOBは「門限は(午後)10時。10時半になると、見回りにまで来るから参った。ガムはダメ、ネックレスもダメ。極めつけは『私語禁止』。ワケが分からなかった」と振り返る。
いきなりやってきた外様監督の締め付けに、戸惑いや不満を覚える選手たち。だが高田監督は自ら積極的にコミュニケーションを取るタイプでもない。たまに主力に掛ける言葉は「そんなプレーをするヤツは、巨人なら1軍にも上がれない」といった調子だった。
就任から2年は5位に低迷。だが後にGMでも発揮される眼力で、田中幸雄や西崎幸広ら有能な若手を見いだし、87年からは2年連続3位とAクラスを確保した。
20年ぶりに監督に復帰したヤクルトは、いい意味では家族的、悪い意味ではぬるま湯体質。高田監督には外様ならではの厳しさが期待されたが、やはり没コミュニケーションがひずみを生んだ。
たとえば今季、ベテランの宮本は14年ぶりに二塁で先発することを、メンバー表を見て初めて知った。ヤクルトにとって生命線の優良助っ人の伝統も、家族的な雰囲気があってこそ。外国人のやる気のなさが、今回も致命傷となってしまった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100527-00000021-ykf-spo