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○速報!!ビビアン・スー○試練乗り越え、7年ぶり日本で活動再開 ビビアン・スーって?

ちょっと前もニュースになってましたが。
ビビアン・スー試練乗り越え、7年ぶり日本で活動再開 ビビアン・スー 「うれしくて泣きたい。私にとって日本は義理の母のような存在だから」。台湾でデビュー20周年を迎えたのを機に、7年ぶりとなる日本での活動を3月に再開した。



  [フォト] 来日時には「千秋ちゃんに赤ちゃんが…信じられない」と驚き



 キュートな笑顔は以前と変わらない。だが、髪をかき上げるしぐさなどに、艶(つや)やかな大人の色香も漂う。



 活動再開の第一弾として関西テレビ系アニメ「くるねこ」のテーマ曲に起用されたシングル「Beautiful Day」をリリース。透明感のある歌声が心地よくこだまする。



 「日本で過ごした8年間はまさにBeautiful Days(美しき日々)。歌に愛と平和の願いを込めたの」



                  ◇



 弾ける笑顔の裏に人知れぬ苦難があった。



 台湾の少数民族「高山族」の家に生まれた。裕福ではなかった。小学生のときに両親が離婚。15歳でアイドルユニットの一員としてデビューしたが、人気は2年と続かなかった。



 売れない、惨めな時代。昼間は姉と野菜市場などで手作り弁当を売り、夜間高校に通う生活を送った。



 日本に渡り、タレント活動を始動したのは19歳のとき。愛くるしい容姿と朗らかな性格で、日本のファンの心をつかみ、日本テレビ(読売テレビ)系「ウリナリ!」で結成したブラックビスケッツでアイドルに。



 「バラエティー番組で社交ダンスに漫才コント、綱渡り…。いろんなことに挑戦し、夢中で取り組みました」



 ところが、天はそんな彼女にまだまだ試練を与え続ける。



 持病の外反母趾(ぼし)が悪化して歩行が困難となり、治療に専念するため日本での活動を縮小。手術で完治したものの、2007年、今度は韓中共同制作ドラマの撮影中に首を痛め、その影響で顔面マヒに。一時は引退も考えたという。



                  ◇



 「友人や家族の支え、薬の服用で治ったの。同じような悩みを持つ人たちと闘病の経験を分け合いたい」。ようやく人生の歯車が順調にかみ合いだした。



 日本での実績を背景にステップアップし、台湾や香港、中国などアジア各国での人気を不動のものとした。歌手や女優業のほかにも作詞家として多くのアーティストに作品を提供、活動のフィールドを広げる。5月に開幕する上海万博では、テーマソング「微笑説●(=にんべんに尓)好(笑顔でニーハオ)」を歌う予定。「日本での経験が全部、今の私の身になっている」という。



 波瀾(はらん)万丈の人生。それを表現する色を、意外にも「白」にたとえる。



 「けっこう包容力があり、ほかのどんな色にも合わせることができる性格なの。白は透明感のある水を連想。上善如水(最善の生き方は水の如し)が理想ね」



 3月に35歳になった“アジアの妖精”。日本、再上陸の幕が開けた。(植木芳和)



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100327-00000546-san-ent
[ 2010/03/28 08:24 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)
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